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子育てをどうする?
370793 若者の集団のあり方 〜村共同体を守れる男を皆で育てる「若者組」に学ぶ〜
 
カニワ ( 27 大阪府 会社員 ) 21/09/24 AM02
現代の若者たちが集まっている空間をイメージすると、
クラス、学年、部活、サークル、趣味、同僚と様々な形がある。

一方、江戸時代では15歳になると「若者組」という集団に入る。
これから村を守っていく、一人前になるために鍛え上げる集団である。
子供から大人になるために、“子供心を打棄てる”ために、子供は試練を耐え抜き、周りはその子がリタイアしないように厳しくも優しくも接する。そしてそれを親は、村共同体のためと送り出してくれる。

現代と江戸時代の「若者の集団」のあり方の違いを知ると、どれだけ今の集団が薄っぺらいのか?を痛感できるだろう。

この両時代の違いは、“自分たちの集団が受けている圧力を自分事として皆が捉えているか?”につきる。
現代の集団での活動は、誰のためでもなく、目先の圧力だけに反応しただけの、なんの役にも立たないモノである。だから、学生から社会人になると、学生での学びも友達も役に立たない。

現在には、まず若者が健全に育つ集団がない。そして、その先に企業などの集団があっても、その集団の圧力を感じられない。圧力を感じれたとしてもと、すぐに無圧力の逃げ、引きこもりになってしまう。

そんな若者ばかりの社会に将来があるのか?考える必要がある。

何かのヒントになればと、若者組の記事を紹介する。

ーーーー引用ーーーーーー
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■一人前の大人になるための、15歳のけじめ

ヒトの赤ん坊を人間にする広義の教育は、科学文明の飛躍的発展があろうとも軽減されることがない、人類共通の難事業である。中でも最も困難で厳しい試練は子どもから一人前の大人にする、成人(人に成る)の画期、折り目のイニシエイションにあった。成人式が形骸化して荒れ、親離れできず、「一人前」が曖昧模糊とした現状を見れば明らかであろう。

江戸時代の庶民は、誰もが15歳を画期に子どもから一人前へのけじめつけることが求められた。1歳で歩き、3歳で言葉を発し、7歳で子どもとなり、子ども仲間に加入する。この間父母・家族の庇護の下、親族・近隣に見守られながら町・村共同体の祭礼・儀礼に加えてもらい、順調に非文字教育の社会訓練を積んできた。ところが15歳を境に状況は一変する。厳しい鍛錬に耐えねば一人前の大人、町・村共同体の正規な構成員とは認められなかった。20歳の成人年齢になれば何らの試練を課されることなく成人式で祝福され、参政権その他の権利を自動的に与えられる今日とは雲泥の差である。

子どもから大人へ、最難関の非文字教育を担ったのは成人男子で構成される若者組であった。今や町・村共同体の解体とともに消滅し、僅かに痕跡を止めるに過ぎなくなったが、子どもを一人前の成人にする、口伝と所作の身体知による非文字の教育を民俗調査から復元、紹介してみたい。

■一人前の必須、「御条目」の暗誦

これから一人前の見習いの一年間、若者組に献身奉仕する修行に入る。若者組の組織は年齢階梯の秩序で貫徹しており、個性や能力の開発、選別を目標とする近代学校制度とは異なり、誰れ彼れなく全員を一人前に押し上げる共同体の教育であった。

(中略)

文字を媒介とせず、言語によって一人前のけじめを身体知として染み込ませる、非文字の教育である。15歳のけじめを簡潔に述べた、冒頭の二か条を文字化してみよう。

「お前達(めえち)も、若衆(わけえしゅう)へ入(へい)ったんで、子供心を打棄(うっちゃ)って、臨機口上、商売、宿を貞実に勤め、親には狼言(ろうげん)を言わないようにするだよ」

子どもと一人前の大人の境界は「子供心を打棄っ」ることができるか否かにある。家族に保護された暖衣飽食の甘えを断ち切って、唯一年齢差がものをいう厳格な共同生活を送るにあたっての覚悟である。

■共同体を守る「若者勤め」で、晴れて一人前に

日常の寝宿の合宿生活をつづけながら、火事・地震・津波・風水害・海難事故・急病人の発生等非常事態には真っ先に駆け付け、力仕事を買って出ることが求められた。15歳から35歳の男子で構成される若者組は村共同体の危機から村人を守る、なくてはならない年齢集団であった。

15歳を契機に子どもを一人前の構成員に仕立て上げなければ若者組は維持できず、村共同体の存続も難しい。誰れひとりとして脱落者を出さぬよう一人前の若者にするため、違反者には厳しい罰則が待ち構えていた。挨拶を忘れたり、集会に遅刻し条目違犯があれば、先輩から厳重に叱責された。村共同体の存亡につながる災害等の非常事態に現場にいなかったりした場合は、重い制裁を受けた。

かくして一年間の新入りの修行に耐え、その後の二年間の小使を体験して、晴れて一人前の若者として公認されたのである。

この若者組の教育システムと、読み書き算用習得の文字教育の寺子屋が拮抗・共存、一体化していたのが、江戸の教育力の強みであったと考えられる。

現今の若者事情は厳しい。一人前のハードルを越えられず、ドロップアウト、リタイアし、ひきこもり状態に陥る若者が少なくないと聞く。能力の有無による選別、特化を否定し、すべての若者を一人前にした若者組の非文字教育に、何かヒントが隠されているのではなかろうか。
 
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